NIPPON「ノリタケ」   (ちょっとウンチクなページ)
Noritake 米国向け 明治期 手描き  日本の磁器の歴史の第一歩である「伊万里」は1600年頃に朝鮮の陶工に習い、 中国の染付に倣って作られ、欧州への輸出から始まりました。
 それからほぼ200年後、ジャポニズムが美術芸術界に花咲いた欧州 から生まれた可憐な磁器(特にドレスデンやマイセン)に倣った西洋磁器が、 開国の日本で作られるようになり、主にアメリカへ向けて輸出されました。 それが「ノリタケ」です。 こちらには、日本の香りが漂う明治期の西洋磁器「オールドノリタケ」をご紹介したいと思います。 (右の作品は所有していません。とてもきれいなので画像無断借用中。)

オールドノリタケ誕生までの概要は次のようなものだそうです。。。 日本で初めて「磁器」が焼かれてからほぼ百年後の1709年、 その「IMARI」に魅せられたヨーロッパにも磁器が誕生しました。 今でも名高いドイツのマイセン窯でのことです。 その後イギリスやフランスなどでも磁土の鉱脈が発見され生産されるようになり、 英国ロイヤルクラウンダービー窯ではいまでも 伊万里の金襴手を模した「JAPAN」というデザインが人気のシリーズとなっています。
ドレスデン 1880年 手描き マイセンの隣町であり絵付け専門の街として知られる ドレスデン製1880年頃のお皿で、裏面にはラム工房のスタンプがあります。 見込みの花束はドレスデンらしい細い線描きによって絵付けが施され、 縁の濃いコバルトの上には金彩で小さな花が描かれています。 ごく初期のノリタケが日本的な意匠から西洋風に転換した 当時のデザインはまさにドレスデン風だったそうで、 その後のプリント絵付けの製品群にも「ドレスデーナ」というシリーズがあります。
さて、その欧州にセンセイションを起こし新風を吹き込んだ伊万里は、 完全な鎖国と19世紀中葉からの磁器の一般化が進むに連れ、 また後発の瀬戸といった他の生産地の台頭におされて衰退し、明治を迎えました。 明治という時代は、近代化に後れをとっていたことに気が付いた日本人が 欧米に追いつけ追い越せとすさまじく活動した時代と聞いています。 福沢諭吉を師と仰いだ尾張の森村市左衛門は、不平等な通商条約に疑問を持ち、 1876年(明治9年)に貿易会社「森村組」を東京銀座に創立し、 同時にニューヨーク6番街に「日の出商会」を出店したそうです。
Noritake 米国向け 明治期 手描き コバルトの上から盛り上げ金彩が駆使されています。 時代を思わせる豪華な金盛りですが、品の良い仕上がりだと思います。 白磁はやや青味かかって見えます。 直径が12センチほどのものなのですが、力強さを感じます。

裏印:M-NIPPON ブルー (1910〜1921)
初めは雑貨や骨董品をアメリカへ輸出していたそうですが、瀬戸という地の利を活かし、 1884年(明治16年)に国産初のコーヒー碗皿を完成させ、 本格的な「西洋食器」の生産と米国を中心とした輸出に乗り出しました。 食と食器文化の異なる欧米に向けたデザインに苦心しながらも、 多彩なデザインと技術が盛り込まれ大らかで愛らしい製品は、 米国の人々に歓迎をもって受け入れられていったそうです。 そして1904年(明治37年)「日本陶器会社(ノリタケ/日陶)」(現ノリタケカンパニー)が設立され、 第一次世界大戦の好景気の後押しを受け隆盛したそうです。 1941年(昭和16年)に米国での販売活動を停止するまで、米英を中心に愛好されたそうです。
1891年(明治24年)からの米国向け輸出品に付けられた裏印を持つC&S。 「日本陶器会社」の前進「森村組」の頃の製品です。 カップの内底にも金彩があります。 本などに載っているようなカップの多くは足が付いていますが、 こちらは今日でもスタンダードなスタイルですね。
ノリタケの金彩のほとんどは、イッチンと呼ばれる技法の上に施されています。 イッチンとは絞り描きのことで、ケーキのデコレーションの要領で細い線を描く技法です。 その上から金を塗り焼き付けたものが「金盛り上げ」です。 1ミリ弱ながら立体的になるため、金彩がより豪華に映えます。
小薔薇のまわりに金盛上げが駆使されています。 オールドノリタケの特徴の一つとして生地の薄さがあると思いますが、 景徳鎮などのエッグシェルのように薄さをギリギリまで追求したものではありませんので、 手取りに不安感はありません。

裏印:メイプルリーフ ブルー(1891〜1904/1910)
国内向けとしては、1908年(明治41年)頃からファンシーウェアを生産し始め、 洋食器セットが生産されたのは1915年(大正4年)からだそうです。 米英向けの金盛りを多用し過剰装飾とも思えるデザインと異なり、 すっきりとしたプリントのディナーウェアやティーセットなどが作られ、 1930年(昭和5年)頃からはモダンなデザインの和食器の生産も始めました。
このページでは1921年以前の輸出ノリタケにのみスポットを当てていますが、 身近であるが故に軽んじがちな国内向けの生産品も同等に注目されるべきと思いますし、 また、ノリタケから分かれた名古屋製陶(1906,1911〜1970)、 東洋陶器(1917〜)、大倉陶園(1921〜)などの歴史と製品についても みていきたいと思っています。
マスタード入れ。この用途からして食生活に違いを感じますね。 お皿と壺部分が繋がっています。少し以前に同じ文様のボウルを見かけました。 一つある物から、同じ文様の器を探し求めるというのも楽しいかも知れません。 「日本陶器会社」になってからの製品。

裏印:RC-NIPPON グリーン(1910〜1921)
オールドノリタケ製品はひとつひとつの密度の高さのみならず、 製品全体に渡る意匠と技法が多種多様であることも大きな特徴です。 まるでバルビゾン派のような写実的な風景や可憐な花などで飾られた皿やティーウェア、 金彩との組み合わせによる豪華な花瓶や飾り皿、アールデコ人形、かわいいフィギュア付き器、 細やかで可憐な文様のテーブルウエア等々といったデザインと、 技法の主なものとして、盛り上げ(モリアゲ)、金盛り、タペストリ、 モールド、ラスター、エッチングといったものが使われています。 これらのデザインと技法が駆使されたオールドノリタケのすべてを こちらにご紹介することはできませんので、 ぜひガイドブックなどでご覧になって下さい!
Noritake 米国向け 明治期 手描き コバルトで縁取られ、リムとピンクの薔薇の線描きに金彩が施されています。 ノリタケ製品はまことに多種多様多彩で目移りしてしまうのですが、 やはりコバルト色と金という取り合わせが一番好きです。

裏印:M-NIPPON グリーン (1910〜1921)
オールドノリタケの制作年代を知る大きな手がかりに 「裏印(バックスタンプ)」があります。 戦災によって資料が消失してしまい現在もすべてを判明できていないまでも、 1891年(明治24年)から1945年(昭和20年)までの 国内外向け100種類以上が確認されているそうです。
下記の3種は、1891〜1921までの米国輸出品スタンプの代表的なものです。

通称「メイプルリーフ」(1891〜1904/1910)

通称「RC」(1910〜1921) RCとはRoyal Crockery

通称「M-NIPPON」(1910〜1921) Mは森村
米国での関税法に則り 1890年(明治23年)から1918年(大正7年)まで、 生産地名としてNIPPONが登録されています。 その後、1921年(大正10年)にJAPANに変更されるまで使用されました。 これにより1921年以前のノリタケを「NIPPON」と呼ぶそうです。
オールドノリタケコレクターズガイドに紹介されている AさんのコレクションにあるC&Sと偶然にも同じ文様でした。 デザインもそうですが、とくに小薔薇のピンク色とまわりのグレーが涼しげで、 日本の香りを漂わせています。購入者の誕生日ケーキ用。 それにしても、文明開化以前は食器にバラなど描いたこともなかったハズなのに、 このような小薔薇でも豪華な薔薇でも、巧みなあしらいで器を飾っています。

裏印:M-NIPPON グリーン(1910〜1921)
アメリカでは1979年に出版された 「The Collector's Encyclopedia of Nippon Porcelain」をはじめとして、 10冊を越えるオールドノリタケ「NIPPON」に関する書物が出版され、 コレクターズクラブも複数あるそうです。
このページを制作するにあたって、日本で出版されているガイドを参考にさせていただき、 歴史や技法について勉強させていただきました。 それによって、普段何気なく使ってきたノリタケ製品にも、より愛着が湧いてきました。 海外で時代を築いたノリタケを、原産国である日本の人間が振り返る時期に来ているのですね。 古伊万里もそうですが、骨董(アンティーク)に親しむことは、 先人の感性を学び、努力や工夫と気概を自分なりの取捨選択をもって受け継いでいくことだと思います。

オールドノリタケはその膨大な作品群の中で、あらゆる技法と表現をしつくした感がありますが、 当ページ制作者は現在、「小薔薇」と「コバルト」(駄洒落ではありません(^^;)に傾倒しています。(01/2002)
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